2005年、11月16日。
東京、国立競技場。
僕が彼のプレーを生で観戦したのは、この日が最初だった。
31CUPの内の1つ。
A代表での唯一のゴールを観た。
決して、派手なゴールではなかったけど、
あのゴール、あのシーン、あの瞬間は脳裏に鮮明に焼き付いている。
ここでプレーしたいと思わせてくれたのは、あの日の国立での、あのゴールだったのかもしれない。
個人的には、A代表の10番は今でも俊輔だけど、俊輔以外だったら、松井に背負って欲しかった。日本でも評価されているとは思うけど、もっと評価されていい選手だと思う。
彼の足元にボールが入ると、いつだってワクワクする。どうやって、相手DFを剥がすのか、どこにパスを通すのか、これだけワクワクする選手は、他にはいないと言っても過言ではない。華麗なドリブル、華麗なテクニック、ル・マンでの試合を観て、当時小学生だった自分はすぐに虜になった。
そして、いつの日か気づく。決して、体格が良いとは言えない彼だが、フランスの大柄な選手を相手にしても、遜色なく闘っていることに。
当時の僕は、トップ下を主戦場にしていて、フィジカルコンタクトを嫌って、なるべく相手と闘わないようなプレーをしていた。身体が小さな僕が、チームで生き残る道は、それだと考えてやっていた。
でも、彼のプレーを多く観てからは、小さいなりにも、頭を使いながら、身体を当てるプレーを意識した。今でも、フィジカルコンタクトは得意ではないけど、その後、海外でプレーすることになる自分にとっては、大きな気付きを得た瞬間だった。
彼といえば、遊び心のあるプレー。
Jリーグでも、アテナ五輪代表でも、A代表でも、リーグ・アンでも、どのレベルの試合でも彼は遊び心を忘れない。
サッカーを楽しんでいる。
これが、ファンを惹きつける最大の理由なのかもしれない。
組織の中にあって、
組織の中から飛び出していける。
個で勝負する。
日本という国では、なかなか難しいことかもしれないが、彼には、そんなことは全く関係ない。献身的なプレーも出来て、個でも打開していける。
最近は、ジュビロでも出場機会が減ってきていて、そろそろ引退かなぁと、正直、思っていた。
その考えは、良い意味で裏切られた。
彼は、厳しい環境で、挑戦することを選んだ。
36歳で挑戦する決断ができること自体、素晴らしいことだと思う。
彼らしい決断だと思った。
彼にとっては、普通の決断だったのだろう。
そして何より、36歳で海外からオファーが来ることが彼の価値を表している。
実は、彼がレヒア(ポーランド)からジュビロに移籍するときに、入れ違うように、僕はドイツからポーランドに入った。また、ポーランドに行って、今度は試合を観戦したい。あと何試合、松井大輔のプレーを観戦出来るのかは、分からない。
観れるときに、目に焼き付けておきたい。
Forza Daisuke !!
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