*Just the Way You Are* ~はみ出し者の旅~

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【中島翔哉】時は来た、自ら手繰り寄せたA代表初招集 ~欧州遠征~

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 23日のマリ戦、27日のウクライナ戦を戦う欧州遠征のメンバー26名が15日に発表された。


 



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招集メンバー


メンバーは以下の26名


▽GK
川島永嗣 (メッス / フランス)
中村航輔 (柏レイソル)
東口順昭 (G大阪)

▽DF
酒井宏樹 (マルセイユ / フランス) ※
遠藤航 (浦和レッズ)
長友佑都 (ガラタサライ / トルコ)
車屋紳太郎 (川崎フロンターレ)
宇賀神友弥 (浦和レッズ)
昌子源 (鹿島アントラーズ)
植田直通 (鹿島アントラーズ)
槙野智章 (浦和レッズ)
森重真人 (FC東京)

▽MF
長谷部誠 (フランクフルト / ドイツ)
三竿健斗 (鹿島アントラーズ)
山口蛍 (セレッソ大阪)
大島僚太 (川崎フロンターレ)
柴崎岳 (ヘタフェ / スペイン)
森岡亮太 (アンデルレヒト / ベルギー)

▽FW
久保裕也 (ヘント / ベルギー)
本田圭佑 (パチューカ / メキシコ)
原口元気 (デュッセルドルフ / ドイツ)
宇佐美貴史 (デュッセルドルフ / ドイツ)
中島翔哉 (ポルティモネンセ / ポルトガル)
小林悠 (川崎フロンターレ)
杉本健勇 (セレッソ大阪)
大迫勇也 (ケルン / ドイツ)

※酒井宏樹が怪我のために離脱し、酒井高徳を追加招集。

 



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代表から遠ざかっていた3人が復帰

 

 メキシコで良いパフォーマンスを見せている本田が復帰、1年以上代表から遠ざかっていた宇佐美も久々の復帰を果たした。また、吉田の怪我もあり、森重も久々の復帰となった。本田に関して指揮官は、「チャンスを掴み取って欲しい」と言及した。宇佐美に関しては、「試合でしっかり得点を取っていて、伸びている状態にある」と言及した。森重に関しては、「彼はまだ準備ができていない。すぐに起用する訳ではない、今の状況を確認し、彼のモチベーションを上げたい」と言及し、それぞれの招集の意図を語った。

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最も注目度の高い選手の初招集


 そして、昨夏にポルトガルへと渡った中島翔哉がA代表初招集となった。自分のサッカー観や、プレースタイルが合う国、チームをしっかりと理解した上でポルトガルを選び、A代表まで辿り着いた。



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順風満帆ではなかったここまでの道のり

 

愛するクラブからの船出

 育ったヴェルディで才能の片鱗を見せていたものの、当時のクラブの苦しい経営状況もあり、FC東京への完全移籍と共に、富山へのレンタル移籍が決定。安間さんが起用し続けてくれたものの、満足な結果を残せないままFC東京へ復帰。FC東京では、満足な出場機会はポルトガルへと渡るまで、得られなかった。しかし、熱が感じられないチームの中で、ル・ヴァン杯のレッズ戦のように、1人気を吐き、孤軍奮闘していた姿が思い起こされる。

代表の10番としての誇り

 そんな状況でも、リオ五輪へ挑むU-23日本代表チームに呼び続けたのが現日本代表コーチの手倉森誠監督だった。オリンピックへ挑む年代の選手たちの中には、大島僚太(川崎フロンターレ)のように、所属クラブでレギュラーを勝ち取っている選手もいたが、クラブで満足な出場機会を得られていない選手も少なくなかった。その中の一人が中島翔哉だった。

ジュニアの頃から彼が将来、A代表に入っていく選手だと確信していたが、世間の目は懐疑的だった。J1で試合にあまり出ていない、ましてや、J2ですら満足な結果を残せていない、そんな選手が主力として起用され続けていて、さらには、背番号10を背負っていたのだから、必ずしも世間の目は間違っているとは言えなかった。しかし、中島翔哉という選手を応援してきた人たちは、誰も彼の才能を疑うことなく、彼が純粋にサッカーを楽しむ姿を見て来たのだ。

 

その笑顔の奥に見え隠れするもの

 ヴェルディの94年組のトップを常に走ってきたのは間違いなく彼であるし、今現在、リオ五輪世代のトップを走っているのは、南野でも久保でも浅野でもなく、彼だと思う。愛するクラブを離れてから、彼が見せる笑顔は自分の気持ちを覆い隠すためのモノに見えた。

緑のユニフォームを脱いでからというもの、彼にとっては苦しい日々が始まった。もしかしたら、本人はそう思っていないかもしれないが…。富山では、彼に合わせてシステムが変更されたが、チームの歯車は噛み合わず、自身の得点も伸びなかった。

初めてのJ1での挑戦

 移籍期間の終了に伴い、2014年シーズン途中にFC東京に復帰するが、途中出場が主でスタメンを勝ち取るまでには至らなかった。2015年シーズンのリーグ戦、アウェイ鳥栖戦でのJ1初ゴール。このゴールは忘れられないゴールの一つ。

U-23日本代表

 U-23アジア選手権では、リオ五輪の出場権獲得に貢献し、大会MVPを獲得した。2016年シーズンは、代表チームでの戦いにより、チームへの合流が遅れたこともあり、途中出場がほとんどであった。また、リオ五輪前には、右膝内側側副靱帯を負傷し、リオ行きが危ぶまれた。シーズン後半からは、主力選手の怪我もあり、左のサイドハーフでスタメン出場する機会が増えた。個人で打開してゴールを決めるなど、存在感を示した。2017年シーズンは、途中出場でありながら、開幕から良いパフォーマンスを見せてはいたが、チーム自体が上手くいっておらず、短い出場時間の中で存在感を示すものの出場機会は増えなかった。そんな状況で、2017年8月、ポルトガル1部のポルティモネンセSCへと期限付き移籍が決定した。


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異例とも言える海外挑戦

 

Jリーグでは不遇の日々を過ごしたが、代表では輝きを放った

 これまで、Jから海外へと移籍していった選手たちと彼を比べると、状況が異なる。乾にしても、香川にしても、Jリーグで結果を残したことで海外挑戦のチャンスを手にした。しかし、翔哉は違う。Jリーグで結果を残したかと問われれば、僕は首を縦には振ることが出来ない。それでも、世代別の代表チームや、国際大会では十分過ぎる程の結果を残してきた。今回の移籍もJリーグの試合よりも、国際試合からスカウトの目に留まったのだろうと思っている。兼ねてから、彼の個性は今の日本では活かすことが難しいだろうことは感じていた。彼は海外でこそ輝ける、海外向きの選手であると言ってきたが、やっと、あの発言が正しかったと友人や多くの人に感じてもらえたと思う。


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リオ経由ロシア行きへ

 ここでA代表に呼んでもらえたことで、リオ経由ロシア行きは、決して夢物語ではなく、掴める位置まで来ている。しかし、まだチャンスを与えられただけで、この欧州遠征で代表チームの中で存在感を示し、フル代表の国際試合で戦えることを証明することが必要である。チャンスは数試合しかない。自らの手でこのチャンスを手繰り寄せたのは紛れもない事実。是非、このチャンスをものにし、ロシアへの切符を勝ち取って欲しい。いや、勝ち取れると信じている。



挑戦の舞台であり、リベンジの舞台でもある


 今大会に懸ける想いが強い選手たちがいる。4年間の全てを今大会に懸けて来た選手たちがいる。年齢的にも今大会がラストチャンスになるであろう選手たちがいる。厳しい戦いであることは間違いない。ワールドカップは、サッカー選手のなら誰もが辿り着きたい舞台なのだから。


それぞれの選手たちの想いがぶつかり合う。ここまで来るまでにそれぞれの物語がある。W杯まで3ヶ月を切り、ロシアへのサバイバルは熾烈を極める。


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