*Just the Way You Are* ~はみ出し者の旅~

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【日本サッカーの未来】vol.6 「本田圭佑」 Keisuke Honda ~新天地メキシコで新たな挑戦、そして、集大成のロシアワールドカップへ~

 



 新天地を求め、メキシコの地で活躍を続ける本田圭佑。高地での環境にも慣れ、チームやメキシコのサッカーにフィットしてきた。集大成となるであろうロシアワールドカップへ向けて、調子は上向きだ。


全てはオランダでの意識改革から

 高校卒業後、グランパスとプロ契約。練習参加した際に、当時、チームのエースだったウェズレイが自分にパスを出さなかったことに対して、文句を言ったという話もある。その出来事からウェズレイは『“あの選手”を獲得するべきだ”』とクラブに進言したという。当時から上へ行くためのメンタリティが備わっていたのだろう。プロ生活をスタートさせたグランパスから海を渡り、オランダ1部・エールディヴィジのVVVフェンロへ移籍。当時、本田のプレースタイルはクロッサーでサイドを主戦場とする選手だったと記憶している。もしかすると、人によっては、当時の本田のプレースタイルを知らない人もいるだろう。それは無理もない。今のプレースタイルからは想像もできないからだ。日本ではクロッサーだったが、オランダの地で本田のプレースタイルは180度、変わることになる。


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2年半契約で加入した1年目、レギュラーとしてプレーしたがチームは2部、エールステ・ディヴィジへ降格してしまう。オランダでは、決定機を決めきれない試合が続き、役立たずとサポータに罵られた。そこで本田は気付いたのだ。ここではゴールが全てだと。数字が一番分かり易く、シンプルだと。そこから彼の意識改革が始まった。その後のオランダでの活躍は言うまでもないだろう。ゴールハンターへと生まれ変わった本田は、2部で迎えたシーズンには背番号10を背負い、キャプテンマークを巻いてシーズンを戦い、リーグ戦36試合で16G13A。リーグ優勝と、リーグMVPを獲得。3年目は、1部で前半戦まで戦い、18試合にスタメン出場。6G7Aと結果を残した。1部昇格を置き土産に、活躍の場をロシアプレミアリーグのCAKAモスクワへと移した。



CSKA時代がその後の明暗を分けたか

 オランダを去り、4年契約でCSKAモスクワへ完全移籍。普通の選手ならば、エールディヴィジに昇格を決めたならば、そのまま1部でシーズンを戦うのが定石と言えるだろう。しかし、本田はロシアへと渡った。当時、凄い道を選んだなと驚愕したことを思ったのを覚えている。己の信念を貫く。いつ何時も本田圭佑は本田圭佑なのだ。CSKAでは、1年目はボランチ、2年目は右サイドハーフ、3年目からはトップ下を主戦場とした。チーム事情からボランチで起用されることもしばしばあったが、ボランチはやりたくないと監督に直訴したことも一度や二度ではなかったようだ。この逸話も実に本田らしい。

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リーグではもちろんのこと、UEFAチャンピオンズリーグでの活躍も目覚ましいものがあった。しかし、その活躍とは裏腹に様々な困難も待ち受けていた。膝の怪我、崩壊寸前のチーム、次のステップへの移籍もなかなか上手く纏まらずロシアに留まることにもなった。この世界で“たられば”を語っても全く意味がないが、「もう1年早くロシアを去ることが出来ていたら・・・」と思ってしまうのは僕だけではないはずだ。



名門ACミランへの移籍と伝統のNo.10を背負い始まった名門再建という壮大なミッション

 皮肉にもエグゼクティブルームでの入団会見がもっとも注目を浴びた瞬間となったという報道は、間違ってはいないとは思う。しかし、活躍しなかったかと言われれば、それは間違っていると思う。2年目と3年目は、リーグ戦のほとんどの試合にレギュラーとして、出場しているのだ。報道などの大まかな印象で、試合にほとんど出ていなかったと勘違いしている人は、悲しいことに多い。試合を観ていなかった人がその大半だが。


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トータルとして、マイナスだった印象だが、個人的な感想としてはそこまでミランでの日々は悪くなかったと感じている。しかし、そこが名門ACミランであること、その辺のクラブの10番ではなく、伝統の特別な背番号10であったことが全てだった。正直、正当な評価をされていたのか疑問ではあった。度重なる監督交代も本田にとっては苦しんだ要因の一つで、運に見放されていたかなと感じる。クラブとしても悪い流れで、それは、本田が去った今現在も続いている。

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ポジションの要因も一つあったと思っていて、ウィングではなく、中盤の真ん中で観てみたかったというのが正直なところ。最後のシーズンでは、両ウィングにはスピードがあって、一人で相手を剥がせる選手が多く起用された。試合を観ていて、チーム全体として、サポートする意識が圧倒的に欠如していて、そんな状況下において、特にサイドの選手へのサポートは全くと言っていいほどなかった。そうなれば、個で相手を振り切れる選手が重宝されたことは致し方ないと言えるかもしれない。

リズムを生み出せないチームにおいて、本田が出た際には本田が下がってボールを受け、簡単に捌きながら動きなおすことで、潤滑油のようにチームに流れを生んでいたのが今でも印象に残っている。確かに人々の印象に残るスーパーな活躍は、1年目のジェノア戦でのミドルシュートや、ミランでのホーム最終戦ボローニャ戦での、EL出場を決めたFKなど多くはなかったかもしれない。しかし、本田は確かにミラン再建のために戦い続けた。レギュラーの時にも、出番が少ない中でも、常に100%でトレーニングに向かう姿は、プロフェッショナルであると、チームメイトだけでなく、招聘された指揮官全員が口にしていたほどだった。


新天地はメキシコのパチューカ

 1年契約でパチューカへ加入。誰もが欧州に残ってプレーするものだと思っていた。僕は、ラ・リーガに行くのではないかと勝手に予想していたのだが、誰もが予想していなかったメキシコへ新天地を求めたのだ。本田選手のInstagramでの動画を見て、新天地を知り、ロシアのCSKAへ行ったときよりも驚いた。

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メキシコの環境は本田にとってプラスだと思う。高地でのトレーニングやゲームをこなして行けば、心肺機能が効率的に鍛えられるからだ。本田のウィークポイントはスタミナ面で、克服するためのトレーニングを続けてきた本田にとって、さらにもう一段階伸ばす事が出来ると思うのだ。


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さらにメキシコでは、ドリブルで仕掛ける場面も多く観られる。まだまだ進化しようとする姿勢と彼の日々の努力には頭が下がる。ミランで足りなかったモノを手に入れようとしているのかもしれない。出来ないから、不得意だからと言って目を背け、他を伸ばすのではなく、まず実行し、取り組んでみる。30歳を過ぎた選手が守りに入らずに、まだまだ、成長して行くのだ。年齢など関係なく、情熱と向上心があれば何歳でも成長できるのだと彼から学ばせてもらっている。あくまでチャレンジャー。代表入りを目指すのは他の選手と何ら変わらないのかもしれない。本田圭佑はメキシコの地からロシア行きを狙う。


 



集大成のロシアワールドカップへ

 南アフリカから、先頭に日本代表を引っ張ってきた本田にとって、今は踏ん張りどころだろう。おそらく集大成となるであろう大舞台が6月に迫っている。集大成を迎えるワールドカップがロシアで行われるというのは、少なからず縁を感じてしまうのだ。集大成の舞台はこれ以上ないだろう。ワールドカップのメンバー入りが出来れば、舞台は整う。いつだって、本田は自らの足で、自らのゴールで、結果で、己が歩んできた道のりの正しさを証明してきた。かつて輝きを放ったロシアの地で“本田圭佑ここにあり”と我々に見せつけてくれることを楽しみにしたい。

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 ロシアワールドカップは本田圭佑の大会になるだろうか。いや、彼は日本代表の大会にしたいと考えているかもしれない。いずれにせよ、日本代表が勝利を捥ぎ取るピッチの上に背番号4番が君臨していることだろう。



P.S.  何故か、中田英寿のようにワールドカップが幕を閉じたと同時に現役を引退してしまうような妙な胸騒ぎとでも言おうか、そんな嫌な予感もしている。


 

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