*Just the Way You Are* ~はみ出し者の旅~

サッカー、音楽、旅などについて書いてます。遠回りの人生の中で感じたことを只々、綴っています。お問い合せはフォームより。

【TOPICS】音楽と政治の関係性~アーティストが政治を語ることは本当にタブーなのか~ 「政治的発言」






 その国の風潮は、その国の常識を恰も正しいものであるかのように創り上げる。そして、日本では空気を読むという風潮がある。これが日本人の良いところであり、最も悪いところでもある。空気を読まない行動や発言はタブーとされてしまう。



アーティストが政治を語ること



 2011年3月11日の東日本大震災以降、政府や政治、原発問題などについて、口にする人々が増えた。その中でも、ミュージシャンやアーティストの発言は大きく取り上げられた。実感としても、ライブのMCなどでの発言は増えたように思う。


これまでも考えていたこと、感じていたことを声に出しやすくなったこと、今まで見て見ぬ振りをしてきたことに目を向ける機会になったこと、考えざるを得ない状況になったことで人々に意識が少し変わったのだと感じる。そんな中で、ライブの観客の中には、そういった発言を煙たがる人々がいたことも事実で、それが日本の現状を表している。



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音楽の歴史を遡る


 音楽の歴史を遡れば、音楽の側にはいつだって政治や政府への不満があった。そのことを鑑みれば、ミュージシャンやアーティストが政治を口にすることは、当たり前のことだ。海外では、今でもアーティストが政府への不満を表したり、政治について口にすることは当たり前のこととしてある。


音楽を聴く人々は、好きなアーティストから系譜を遡って聴いていくことで様々なアーティストと出会い、その年代の歴史を学んでいくという形を取っていると思うが、最近の人たちの音楽の聴き方は、それとは異なる。テレビで流れている音楽が全てであり、主張がなく、当たり障りのない流行りの音楽が正しいものとして認識されているように感じる。そういった影響もあり、主張のあるアーティストや音楽を嫌う傾向にあるのではないかと思う。




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3.11以降、政治への関心は高まったのか



 それまで政治や政府への関心がなかった人も、3.11をきっかけに目を向けるようになったと思う。僕自身もその中の一人である。原発の問題に関しては、小学生の時に、チェルノブイリについて関心があり、それ以降も情報を漁っていた。しかし、政治は取っ付きにくさは感じていて、あまり目を向けてこなかった。


そんなときに、東日本大震災が起きた。会見の度に見るからに疲弊していく枝野さん(当時、官房長官)の姿が今でも鮮明に印象に残っている。それでも、当時の政府の対応、そして、その後の政府の対応には不満が募っていった。そんな対応をみていた人々は、否が応でも、安心を高めずにはいられなかったのだろう。政治への関心の高さは、やはり政府への不満に比例しているのだと思わざるを得ない。




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この風潮が作り出す雰囲気はまるで言論の自由がない独裁国家のよう



 政治を語ることがタブーとされる今の日本の風潮は、まるで独裁国家のようだ。言論の自由を奪われているかのようで、そんな現状には違和感しかない。僕の好きなアーティストの中にも、政治について口にする方々がいるが、やはり、批判的なコメントがいつもSNSで流れている。この悪い流れを打ち破るには、声を上げ続けるしかないのだ。


政治を語ったり、主張をするアーティストはおそらく、テレビに出ることはできないだろう。そんなテレビ局ならば、出る価値がないと思うのだ。メディアも変革を迫られていることに気づかなければならない。




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日常会話の中で、政治への意見を交わす日を



 海外へ行くと、どの年代の人も自分の主張を持っていて、政治について多くを語る。日本では、日常会話や居酒屋でに会話の中で、政治について触れられることは、皆無だ。海外にかぶれる人々は今でも多くいる。しかし、いつもそれは表面的なものだ。どうせかぶれるのなら、そういったところまでかぶれて欲しいものである。


日常会話のなかで政治についての意見を交わすことが当たり前になる日を目指して、アーティストの方々には声を上げ続けて欲しいと思う。僕の周りでも、政治について語ることはほとんどない。会話の中に少しづつ政府や政治についてのことをジャブのように入れていかなければと思う。少しづつ意識を変えていく、その積み重ねによって、“その日”がやってくる。